名古屋高等工業学校「要覧」、「開校式」、「第1回卒業証書授与式」及び「巴会第1回記念写真」の展示
このたび、原紀美子様(池頭山 西念寺)から、「名古屋高等工業学校要覧、開校式次第及び第1回卒業証書授与式次第」を、故横井由之助氏(明治42年機械科卒)ご令孫 横井てるは様から、「名古屋高等工業学校同学会巴会(機械科)第1回記念写真及び名簿」をご寄贈いただきました。
ご寄贈いただきました資料は、本学の歴史をたどる大変貴重な資料ですので、本学校友会館2階にある展示室に展示させていただくことになりましたので、ご案内させていただきます。
この展示室は、本学の創立100周年の記念事業として、卒業生の方などからご寄贈いただいた本学の歴史をたどる資料などを展示する場所として整備され、平成18年11月に開館しました。
今回、展示させていただきます資料に関連する本学の歴史についてご紹介させていただきます。
「名古屋高等工業学校要覧」
名古屋工業大学は、明治38年に設置された名古屋高等工業学校と、昭和18年に設置された愛知県立高等工業学校(のち何れも工業専門学校に改称)が合併して、昭和24年に新制大学として発足したものです。
本学は、名古屋高等工業学校が創立された明治38年をもって創立の年としています。要覧は、この名古屋高等工業学校の要覧としてつくられたものです。
「名古屋高等工業学校開校式」
開校して2年、校舎建築も予定の工事が竣工し、明治40年5月18日午前10時より、愛知県愛知郡御器所村字木市の名古屋高等工業学校講堂において開校式が挙行された。
牧野文部大臣はじめ深野知事、加藤名古屋市長、奥田商工会議所会頭ほか知名士役150名を来賓に迎えて盛大に挙行された。式後牧野文部大臣は記念として樟の樹を植樹し、そのあと来賓一同は校長教官の案内で校内を観覧した。
牧野文部大臣は次の如き祝辞を朗読した。
『名古屋高等工業学校本日を以て開校の式を挙ぐるは本大臣の欣ぶ處なり今や我國列強の開に伍し國威の宣揚國力の振張前日の比にあらず教育の事亦内容の改善進歩を期すべきもの多し殊に工業界は信用あり堅實なる思想あるものを要する事最も切なり本校にして品格ある工業家を養成するに其目的を達するあらば洵に国家の至幸と言ふべき也望むらくは本校職員生徒たるもの常に能く意を玆に到されんことを一言希望を述べて祝辞に代ふ』
明治四十年五月十八日
文部大臣 牧 野 伸 顯
(「名古屋工業大学80年史」より)
「第1回卒業証書授与式」
明治41年7月20日午前9時より挙行された。
来賓として小松原文部大臣代理真野実業学務局長、本校最初の設計者東京帝国大学教授工学博士中林勝太郎、深野愛知県知事、枝事務官、熊谷医学専門校長、佐野地方幼年学校長、三浦師範学校長、柴田県立工業学校長、平塚検事長、松田検事正、黒沢第五旅団長、小笠原砲兵連隊長、平井工兵連隊長、中村名古屋連隊区司令官、高橋助役、丹羽区長、三田村区長、伊藤次郎左衛門、県会議員、新聞記者、生徒父兄等が列席、勅語奉読についで卒業生に証書並びに精勤賞を授与があり、続いて土居校長の告辞、小松原文部大臣の祝辞の代読、最後に山田登が卒業生総代として答辞を述べ閉会した。
(「名古屋工業大学80年史」より)
名古屋高等工業学校開校式次第
寄 贈 者 原 紀 美 子 氏 (池頭山 西念寺) |
「名古屋高等工業学校同学会巴会(機械科)第1回記念写真」
同学会は、明治40年4月に発足した。本校では保証人に関する規定を廃止し、それに代わって同学会が組織されることとなり、準則が判定された。
同学会は、科別により一学級または数学級の生徒をもって組織し、各自専修し学術技芸について知識思想を交換するとともに、友情を温め、殊に本校生徒心得の趣旨を遵守し、責善忠告の実を挙げ、健全なる学風を発揚するをもって目的とし、CE会(土木科)、巴会(機械科)、光鯱会(建築科)、機織同学会(機織科)、DD倶楽部(色染科)の五学会で発足しました。「本校に土木、機械、建築、色染の5学目あり、軽重の差此間に無し、而して立国の在工の基礎、更に此5科に在りと信ずる」とあり、即ち“ゴキソ”は一名を五基礎なりともいわれた。
同学会は、それぞれ準則に基づいて簡単な会則がつくられ、毎月会費を徴収し、各会の事情に応じて庶務、体育、修養、講演、雑誌、会計等の部を置き、友情を厚くし、学識研鑽、校風発揮を目的として活動が行われた。
(「名古屋工業大学80年史」より)
巴会第1回記念撮影(写真)
寄 贈 者 故 横井由之助氏(明治42年機械科卒) ご令孫 横井 てるは 氏
|
※画像はクリックすると大きくなります。
カテゴリ:卒業生連携室 更新日:2013年1月 9日